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文革45周年 左派勢力再評価を要求

2011年05月21日
 
【新唐人日本2011年5月21日付ニュース】最近中国では、再び赤い革命の嵐が吹き荒れています。今年の5月16日は、文化大革命発動45周年になる日です。中国共産党当局も誤りだったと認めた文革に対し、最近、再評価を求める左派サイトが出現。10年にわたる災禍が残した傷跡は、簡単に忘れられるものでしょうか。
 
元新華社記者高瑜さんは、骨身に刻みこまれたあの記憶は、いまだに忘れられないといいます。
 
元新華社記者 高瑜
「文革は確かに中国史上の巨大な災難です。国家が揺れただけでなく、中国の伝統文化が破壊され、共産主義の理想も文革の時に破滅しました。一日中人と人が戦い、階級の闘争が綱領でした。全国の人民は文革の苦労を嘗め尽くし、毛沢東の死を待ち望んでいました」
 
一方、左派勢力は“毛沢東路線”を讃え、毛沢東思想のみが中国を救えると主張。これに対し、文革の被害者燕さんは、中国の問題は、毛沢東への批判を徹底していないことにあると指摘します。
 
元陝西テレビの編集者馬暁明さんは、毛沢東時代は、個人崇拝による歴史的悲劇だったといいます。馬さんは、天安門事件に参加したことで仕事を失い、98年には共産党からの脱退を表明しました。
 
元陝西テレビ編集者 馬暁明
「毛沢東時代のあの極端な個人崇拝は異なる意見を持つ人 、または政敵に対しては残酷な闘争と打撃を与え。社会主義公有制、計画経済政策を推し進め、中国社会の数億人を災難の深淵に陥れた。このような歴史悲劇です」
 
しかし左派世論は、文革は空前の民主主義の実験であり、市民は壁新聞を通じて言論の主張ができ、市民の監視の下、官僚の汚職も制限されていたと主張します。
 
香港の“明報”は、香港大学中国メディア研究計画センターの銭鋼主任の話として、毛沢東は造反を扇動しながら、言論の自由は与えたことはなかったと指摘。
 
1957年の“反右派闘争”の被害者燕さんは、文革時期も貧富の差は明らかだったと示します。
 
燕豚符
「当時は政治権力が全てでした。階層によって、高級幹部子弟の行く学校や幹部の住む家も違っていました。違う階層に違う「大釜飯」があるのです。当時の幹部の階層が違えば、特権もすごかったのです。ただ隠されていただけで、今のように公ではなかったのです」
 
民間の調査によると、10年にわたる文革による死亡者は200万人。経済損失は5000億元に達し、国民経済は崩壊寸前に至りました。
 
共産党当局も文革は誤りであったと認めたものの、誠意を持った反省は見られません。中国民間には文革記念館が数箇所建てられたものの、政府による被害者記念館は皆無です。
4月初め、拡張工事に25億元を投じた中国国家博物館がリニューアルオープン。世界最大規模を誇るこの歴史博物館ですが、10年の文革に関する展示物は、たった一枚の絵に3行の説明文だけ。歴史の真実から目をそらす共産党当局の姿が再度証明された、と欧米メディアは指摘しています。
 
 
新唐人テレビがお伝えしました。
 
(中国語)
 

 

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